脳を見る。

記憶喪失と植物状態について考える。

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2006/04/07

心と生命(5)

〜脳を見る(1)〜

脳を知らねば、人間そのものを理解することはできない。
今日(2005年6月3日現在)、記憶喪失のピアノマンのことが世界的に話題になっている。
不運にも交通事故等で、頭部に傷害を受けたことから、記憶が喪失したり、精神的なショックから、一時的に話すことや、自分がなんだったのかと分らなくなり、物事を判断することができなくなることがある。
記憶喪失のピアノマンについては、いろいろなことが言われているが、やはり脳の傷害が原因であろう。
すなわち、ニューロンのネットワークが、ある面で機能できない損傷を受けたものであろう。医学的にいえば、軸索損傷が生じたものと思える。(びまん性軸索損傷)
ピアノマンが、一日も早く、自分自身を取り戻すことを祈らざるを得ない。

さて、この記憶喪失よりも重い植物状態とか植物人間のことが、時々話題になるが、私にも忘れられない植物人間のことがある。
今からおよそ30年ほど前だが、若い女性が交通事故で頭部損傷を受け、植物状態になったが、この植物状態が8年間続き、事故当時、妊娠中で、事故から6か月後に、植物状態のなかで元気な女児を出産したのだ。

植物状態(Vegetative state)について、医学的定義は、
「重症頭部外傷後、高度の精神機能の回復がみられないままに定常状態となり、長期間生
存している状態をいう。自律神経の機能は正常であるが、周囲に全く反応を示さず、大脳半球による精神活動がみられない。
臨床的には、意思疎通、自力移動、発語、視覚、認識、食事自己摂取のいずれも不能であり、糞尿、失禁で3か月以上続くものをいう。脳血管障害や無酸素症などにもよって生じることがある」と記述している。
八年問生存し、出産した植物状態の彼女は、生きていく上での呼吸、血液循環機能、消化系などの生命維持が、なんとか可能な状態だったといえる。
しかし、患者である彼女は、脳の機能障害で目は見えず、耳は聞えず、口はきけないし、もちろん、自分自身の意思は全くなく、指一本も動かせない。それに最も人間として大事な感情、感覚がない。まったく自分が今ここに生きている、というなんら自覚もないことだ。
植物状態後、6ヶ月目に、帝王切開で健康な女児を出産するなど、生命(脳そのもの)の不思議さを感じるのだが、栄養補給を始め、呼吸管理など、生命維持技術が進み、医師たちの手厚い看護の力によって8年間生きたことにも驚きと感動を得た。
それにしても、他の動物にはない複雑で高次な脳機能を、私たち人間だけが35億年の生物進化のなかで獲得した、その脳を学ばねばならいことが分る---。

脳を見る

数冊の脳に関する専門書を参考にして脳を見ることにした。
図-1は、脳を上から覗いたものである。
そこに見えるものは大脳皮質である。その脳の外見は水を多く含んだピンクの硬めの豆腐やゼリーのようなものだ。その表面には多くのしわがある。そして見て分るように、左右二つに分かれている。
左半球は一般に言語や計算、理知的な機能を担っている。これに対して右脳は、空間認識や芸術的な作業など、直感的な機能に関わっている。右脳はどちらかというとアナログ的であり、左脳はデジタル的であるという。
この右脳、左脳、すなわち両側の大脳半球を密接に結びつけるものに「脳梁」があり、連合線維の束でできあがっている。
この大脳の表に出ている大部分は大脳皮質だが、そのしわを伸ばすと、その面積は、新聞紙1ぺージ大ほどになる。
ここで、「脳を見る」から、少し離れるが、ゲノムの解明から、哺乳類では、ヒト、サル、マウスのいずれも基本的には同じだという。
ヒトとチンパンジーでは、約99%が同じだという。
前にも触れたが、私たち人間だけが、35億年の生物進化のなかで、他の動物にはない複雑で高次な機能の脳を持っている。これは遺伝子のほんの違いだけではなく、ヒトとして生まれ、育てられる---親の愛情、家庭環境で多くの育児のエネルギーを受けたり、社会的、経済的環境、とくに教育などにより、私たちは高次の脳機能が発揮できる人間性(個性)を持ったからだ。
この連載の中で前回でも述べたように、神経伝達物質が、神経細胞(ニューロン)を興奮させたり、抑制されたりすることで、多くの情報を電気的な反応として伝え、外界のアナログ的情報を神経細胞の興奮、抑制というデジタル的情報に変換し、このことによってより多くの情報が貯えられ、必要によりその情報が発揮されている。
ここで注目すべきことは、デジタル化して情報を貯えても、その発揮は、高度な精神活動として多くの情報が統合され、人間としての個性化、その人その人の考え方が発揮されることが、私たち人間だけが大自然から与えられ、できるということだ。
個性(脳)は、流動するものだが、ヒトだけが哲学を学び、美学を学び、いかに人生を豊かにするかという心の発露ができる唯一の生き物である。
今日、反人間的な行為によって不幸になる人たちが多く、快、不快という二進法的な短絡反応のみで、脳機能を発揮することが多く、そこには、もう脳が「心を」を喪失し、たんなる物質化と機械化した生き物になったように見える。脳は人間そのものではないのか、そのことを大いに主張せねばならないと思うのだが---。

図-2は、脳を横から見たものである。この図-2で分るように、私たち人間の脳は、大きく分ければ、巨大な大脳とそれを支える幹にあたる脳幹、そして脳幹から脊椎の中へ垂れ下がった脊髄となる(図-3を参照)。
そして脳の後部に突出した小脳があり、これら大きく四つの区切からできあがっているといえる。
大きさを比較すれば大脳はおよそ約1400g、脳幹はおよそ220g、脊髄はおよそ25g、小脳はおよそ130gである。ここで分ることは他の動物にくらべて、人間の脳の特徴は、大脳が極端に大きく、他の同じく重要な機能を持った大部分の脳は、この大脳の下部に隠されている。この連載第一回で図に示したが、知的活動の進化は、大脳の大きさにある。
ところが、本能として働く古い脳は動物の種によってもあまり関係せず、犬、猫、猿でも驚くほど似ている。
これをキノコにたとえると、精神、心の場である大脳皮質は、ひろがった傘の表面にあり、本能的行為の産である古い皮質は、大脳のなかにうずもれていて外からは見えない。

脳の発達は三歳児頃までに

専門家からの取材によると、脳の発達速度は、生まれた直後が最も速く、三歳児頃まではかなり急速な発達がある。そして、その後、ゆっくりとその発達速度はにぶり、およそ20歳前後で発達のピークに達し、以後はゆっくりと速度がにぶり、老化への道を歩むという。
生後三年間の脳のなかでは、成人してから必要な神経細胞(ニューロン)の数をはるかに上回る多くの神経細胞を備えて生まれてくるという。
そして、乳児期には、それらの神経細胞同士の接続点「シナプス」が、最終的に必要とされる数の倍ほど達成されているという。
このことは、専門書にも書いてあるが、小児科医師で、「デジタル家電が子どもの脳を破壊する」(講談社+α新書)の著者、金澤治氏は、三歳児の脳の発達について次のように述べている。その要点を述べると---、このように過剰に準備されたニューロン(神経細胞)とシナプスは、幼児期三年間のうちに必要な数まで減少するという。
このとき自然は、不必要と判断されたニューロンはアポトーシスという細胞の自殺現象により死滅するし、シナプスも不必要分が消去されるという。生後三年間で大筋の原型は決定される。このことから「三つ子の魂百まで」という諺があるのではないかという。
このとき、ニューロンに栄養を与えるグリア細胞による神経回路の固定作業も同時に進行する。
注目すべきことは、脳が成長し、重くなるということは、主にこのグリア細胞の増殖・増築によるものだという。
脳の発達過程で、併せてグリア細胞も増え続け、その一部は、前回の連載で述べた神経細胞から延びた軸索に巻きついて髄鞘(ミエリン)という絶縁皮膜を形成する。
まだグリア細胞については不明な点があるものの、神経細胞の働きを助け、神経回路の構築をしたり、情報伝達速度を速めたりするという。
著者、金澤治氏は、次のように重要なことを述べている。
「マウスによる動物実験だが、乳幼児の時期に良好な快適環境や刺激が与えなかった場合、単に神経細胞の回路の構築がうまくいかないだけでなく、グリア細胞の発育も悪く、神経回路網を与える基盤自体もうまく造らせないという。ここで分ることは、頑丈な中枢神経
組織を発達させるためにグリア細胞がかなり貢献している」
という。幼児期が、脳を造ることについて、大事な時期であり、その発育環境の重要性があることをしっかりと私たちは認識をあらたにしなくてはならないといえる。

脳幹をみる

脳幹は脊髄に近い部分から、延髄、橋、中脳、視床、視床下部の五つに区別されている。
この脳幹は、視床下部を除いて、同質の脳であり、その形から区分されただけで、はっきりした境界はないが、それぞれ重要な脳の機能の働きを担っている。
脊髄のすぐ上にある延髄だが、呼吸、血液の循環能、消化系などの中枢がここに集約されている。
私たちが生きていく上で、生命維持に最重要な脳の部位である。前に述べた植物状態も、ここ延髄は生きて、その機能を発揮しており、他の脳の部分がダメージを受けていても、生命は生き続けているのだ。
脊髄と脳幹は接続しており、質的には同じ脳であるといえる。(図-3を参照)

橋(ポンス)

延髄の上の部分。ここから小脳が突出している。小脳とともに全身の筋肉運動をコントロールするところだ。すなわち、左右の小脳を継ぐ橋という意味で、「橋」といい、ポンスはフランス語。

中脳

橋の上の部分にあって、歩行や姿勢の制御、瞳孔の収縮など、かなり高度な運動を調整する脳の部分である。
さらに、中脳を出た神経が人間の創造性と深くかかわっている。集中力、積極性、気分のコントロールをする神経でもある。神経伝達物質の一つ、セロトニンやノルアドレナリン神経が、この中脳からはじまり、脳全体に伸びているという。このように脳幹は人間の生命を維持するために欠かせない脳である。
以上脳幹は、中脳、橋、延髄などを総称したもので、前に述べたように、ここには末梢神経の一種である脳神経のいくつかの核や意識に関係する脳幹網様体があり、また手足に伝わる運動神経や手足からの感覚線維が集まっており、ここに疾患が生じると、両手両足が動かないか、口もきけず、顔面も目も動かせないことがおこるという。

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