医師と患者の距離について考える。

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2006/02/06

2.医師と患者(2)

〜医者と患者の距離〜

医者側の不理解

前号で述べたC型肝炎の患者さんである主婦は、新しい治療法であるペグイントロンや、インターフェロンとリバビリン併用療法を希望したが、医師は受け入れてくれず、ミノファーゲンによる注射療法を行うことになり、その実施に踏み切った。

インターフェロンの副作用や、病態からみて、医師は、この治療法がこの患者にとって、現在のところベストであると診断をして行ったのである。

もちろん、患者さんには、この治療法について十分説明はしている。

しかし、患者さんにとっては、新しい治療法で、もしかしたら完全にウイルスが排除できるのではないか、また、ウイルスが完全に排除されなくても肝がんに進行するリスクはかなり低下するのではないかという期待感が頭から離れない。

患者は、たとえ年齢が60代でも、このC型肝炎を完全に克服したいのである。医学的な臨床上の学問は知らないが、可能性がある限り、副作用にも耐えて、病気を完全に治したい---その可能性が、これら薬の使用であるというのなら、なぜしてくれないのか、十分に理解できないという。

患者は、年齢に関係なく病気を完全に克服したいと願う。そこに病に対する闘病精神があり、その精神が大きな支えとなって今を生きているのだ。

その心情を、なぜに専門医は理解しないのか、医師と患者の間にはかなりの距離感があると、強い疑問を持って彼女は通院している。そこには、信頼関係が希薄であり、医師にとっても、患者にとってもたいへん不幸なことである。

患者の自己決定権

医療は建前上、患者主体である。

当然のこととして、患者の自己決定権が重要事項となっている。
しかし、今日の日本の医療では、十分かつ完壁な情報は少ない。患者自身の手で情報を得て、自己の治療を決めるということは不可能だ。

セカンドオピニオンや、マスコミによる情報はあるにしても、医師自身、医療機関自体が、あらゆる情報を公開していない。このような情況下で、患者の自己決定権は、ごく限られた狭い中で存在する---のみであるといいたい。

たとえば、外科治療を受ける場合、患者は自己の身体的苦痛を犠牲にし、さらに心の不安を持ち、受診する。
したがって、いかなる治療法が最善かつ患者さんの希望に沿うものであるかを医師に説明してもらい、最も合理的な手段を選択することになる。
そのためには、医師は専門家としての実績の公開、治療計画の透明性、その治療に対する医学的な自信と経験をしっかりと知らせるべきである。
医事法上からみても、治療を委託された患者さんに対して、その経過や事故の顛末などを報告する義務がある。
さらに、倫理面からみれば、医師も患者も同じ人生を歩む生命に対する畏敬、その心が大事といえる。

法律家は医療法上からみて、医師について次のように発言している。
---医師は自己の知識や技術、その実績をふまえ、患者の疾病の治療にあたるが、これは病が必ずしも治癒するという結果を保証するものではなく、医師の債務は、結果の保証を伴わない手段債努とされる。
ここに医師の職業の神聖性が担保される---のであると。
このことからも分るように、医療行為の原点は、「患者の立場から」に尽きる。医師、患者間の私的要素が医療であるが、その社会性は重大であり、医師はプロフエッションとしての倫理性をあわせもつことも当然となる。
そこには、常に研修、研鑽に励み、豊かな人間性と技術をみがく必要性がある。
この、すべては「患者のために」を徹底して実践してこそ、医療は偉大になるし、患者自身も自己責任を重要視する。
そこには、医師に対する感謝の念と、限りある生命のなかに、互いに人問として深く触れ合うことで、病苦を共有する美学から、医療文化が自然に確立されることだろう。

患者が医療に参画を

重大な病気にかかったとき、患者さんの苦悩は想像を絶する。

Aさんは70歳の女性、15年程前に胆石で胆のうを摘出している。
詳しい病気の内容については省略するが膵のう胞があった。
経過観察を超音波検査や腫瘍マーカ(CA19-9)などで行ってきたが、血液検査で分かる腫瘍マーカが、高進した値を示すようになった。

しかし、症気の自覚は全くなく、健康体であり、若い人を雇って自営業をしている。
だが医師は、CT検査や膵胆管の造影検査、MRIの検査を実施。根本治療として、大きな手術をともなう外科治療をすすめた。

膵臓は健康な部分を小腸につなぎ、胃、十二指腸は摘出するという大手術である。はっきりと膵がんになっているという診断だ。
Aさんは、この手術に踏み切れない。なんの症状もないし、納得がいかない。そこで、セカンドオピニオンとして、別のがん専門病院の診断を求めた。

がん専門病院(内科系)の医師は、様子をみた方がいいという。手術については、術後の生活の質(Quality of life)が十分に保たれるかどうかは大きな疑問だという。
Aさんは迷う。著名な専門医(外科)にも足を運んだ。この医師は、様子をみるべきだという。そして症状がでたときは、バイパス手術をすればいいという。

セカンドオピニオンを活用したが、この病気に対する本質的なことには、どの専門医も触れてくれない。確実に死に至る病なのか、自問自答をし、再度腫瘍マーカ検査を実施した。その結果は、その値が一段と高進していたのだ。
Aさんは自分自身で決意し、根本的治療の外科手術を受けることに踏み切った。死は確実なものだが、病気を克服したい。そして生きられる可能性がたとえ数%でもいいから、この手に勝ち取りたいと。
こうして手術を受けた。術後の生活は想像はしていたが、たいへんな苦労である。今、その回復療養を、介護保険の給付を受けてがんばっている。

セカンドオピニオンもいいが、Aさんの場合などは、チーム療法で、治療計画のカンファレンスに患者も参画して、医療を創っていくべきだと思う。
患者が参加するチーム医療が、最近行われるようになってきた。たいへんいいことだ。
県立静岡がんセンターでは、複数の診療科の担当医やソーシャルワーカー、理学療法士、看護師など、それぞれの立場から活発な意見が出され、皆で納得のいく方針を模索しているという。このカンファレンスのなかに患者も参加しているケースが多くなったという。

医療の主体は、患者である。患者の参画は当然のことであり、そこに新しい人間性豊かな医療の創造が生まれるのではないだろうか。(つづく)


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